「悪行宿心」悪い行いは心に宿る

悪鬼流コラム

ウー シン スー シン

麻雀で悪行というのはなんだろうか、オーラスを4着でアガったり、ノーテンなのに立直をかけてしまうことだったり…… そんな事が小さく思えるのが自己中心的な行動の最上系であるイカサマの存在である。悪鬼流初期の頃はまだ手積みの麻雀セットであり、牌も少し小さめの26ミリ。オール伏せ牌での洗牌だったが10牌程度なら場所も覚えられ、積み込みやぶっこ抜きが多発。イカサマの展示会場の様相を示していた。そうしてイカサマを続けた者がどうなるか、その後もうイカサマはしませんよと言っても疑われ、良い手が来ても「これをアガっても疑われるんだろうな」という気持ちが心をよぎる。悪鬼流はシーズン3からは自動卓を購入しており、なんとか私自身はこの呪縛から逃れることができたが、やはり最初から悪い行いはするべきでは無いだろう。

悪行は人それぞれ

悪鬼流は全シーズンを通して三味線は許されている。見せ牌は許されていないためその言動が本当か嘘かはほとんど分からない。しかし、三味線に慣れていない素直な打ち手が居たらどうだろうか。「好形だから字牌は通るよ」などと言って北単騎でロンされた初心者はどう思うだろうか。三味線を使う、という事自体が悪行だと感じるだろう。

悪行は挙げていくと細かいことからイカサマまで様々である。他人のツモ動作がおかしく自分だけに毎回ツモ牌が見える状態になっているのを黙っていた、なんてのも悪行になるかもしれない。放銃した手の点数申告が低かったが誰も気づいていないため黙っていた、点棒のやり取りでお釣りが多かった、過大申告をしてしまったが誰も気づかず本来のアガリ以上の点数を受け取ったなどの点棒のやり取りに関する悪行もあるだろう。

悪行は心に残る、自身の輪郭がボヤける

こうした細かい悪行の積み重ねはちょっとだけなら何も感じないかもしれないが、あまりにも多く経験すると心に残っていく。良い行いと違い、悪い行いというものは人の感情に「後ろめたさ」や「罪悪感」などをため込んでいく。この小さい感情が長期的に自分自身を蝕んでいく。

オーラス接戦を200点差でギリギリ1着をキープできた、でも実際は対局相手が本場の計算を間違えてくれたから。振り込みを回避できたのはたまたま待ち牌が見えてしまっただけで、本来なら振り込んでいた。こういうのも含めて実力だ、と自信を持って言えるなら心配する必要はない。もし少しでも罪悪感や卑怯な手段と感じたならばそれは心を蝕んでいる。

清廉潔白であることは一つの実力

麻雀は4人が裁定者でもある。1人でも間違いに気付ければ指摘することでルールに則った麻雀ができる。間違いは誰にでも起こるが、間違いの見逃しは意図している事を忘れないでいきたい。またイカサマや不正行為で勝つ麻雀はその後に何も残らない。

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